しがらみのない政治

衆議院が解散されて総選挙となるが、テレビのニュースやワイドショーでは小池百合子東京都知事が立ち上げた新党「希望の党」と、民進党などその周辺の政治勢力の動向がしきりに報じられている。

小池氏は「しがらみのない政治」を目指すと発言した。本人の真意は分からないが、私は「しがらみのない政治」などというものは、民主主義の国にはあり得ないと思う。

政治は話し合いであり、語り合いである。政治思想の異なる者同士、違った意見を持つ者同士が言葉を尽くして議論するのが、民主主義という政治のやり方である。異なる意見や、少数派の意見を切り捨てることなく、汲み取って吟味することができるのが民主主義の良いところである。

異なる思想や意見の持ち主が話し合うのだから、そこに「しがらみがない」などということはあり得ない。議論の相手を尊重して真摯に話し合うことは可能である。しかし、自分が持つのと異なる政治思想に対して、何の感情も持たずにいられるものであろうか。むしろ、自分には賛同しかねる、理解に苦しむという感じを常に持ちながら、粘り強く議論し続けることになるのではなかろうか。そのような議論は、相当の精神的な強さを持つ人にしか出来ないことなのではないかとすら思える。

「しがらみのない政治」が仮にあるとしたら、それは相手の意見に反対することを避け、批判をせず、角を立てず丸く収めることしかしない政治である。これでは議論を十分に深めることはできず、耳触りの良くない意見や少数派の意見は切り捨てられる傾向が極めて強くなる。好ましい議論とは言えない。

小池氏の新党が選挙においてどのような躍進を見せるのか、今はまだ分からない。しかし、有権者が「しがらみのない政治」を期待して新党に票を集めるならば、国政は良くない方向へと動いていくと思わざるを得ない。
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テーマ : 衆議院解散・総選挙
ジャンル : 政治・経済

寝耳に水の解散総選挙

北朝鮮のミサイルが日本列島をまたいで太平洋に着弾し、軍事的安全保障への危機感が高まっているところでの解散総選挙。個人的に、自民党の大勝に終わると予想。小池氏の希望の党がどの程度のものか未知数だが、場合によっては改憲勢力で3分の2を超えることも十分にあり得る。

この予想の根拠は当然ながら、北朝鮮のミサイル問題にある。このタイミングで選挙になれば、有権者は、国民の生命と財産を外国の軍事的脅威から守ってくれる期待を持てる政党に投票するのが自然である。森友とか獣医学部とかどうでもいいから、俺たちを守ってくれ!戦後永きにわたって平和を謳歌してきた日本国民の悲痛な叫びが聞こえてきそうである。

現在、政党支持率は自民30%程度、他の党はとごも5%程度かそれ以下、支持政党なしが40%を超えており自民支持を上回っている。国民の政治不信は払拭されていない。自民党が選挙で大勝しても、それは積極的支持によるものではなく、他に入れるところがないからと自民党を選ぶ人が多い故である。そして、これは今に始まったことではない。

現在の状況は決して良いものではないが、前向きに考えれば、自民党を消極的に支持して投じられてきた票の受け皿となることができれば、その党は大きく躍進できる状況でもある。今こそ戦後レジームと真正面から向き合い、本当のことを主張する政党が躍進できる時ではないかと密かに期待している。

その躍進できる政党は、「日本のこころ」であると思っていたが、どうやら希望の党と合流してしまったようである。本当のことを包み隠さずに言って支持を得ようとしているというよりは、流行に乗っかって当選しようとしているように見える。

戦前世代が消滅すれば、戦前、戦中のことを語られることがなくなる。戦後レジームとはどのようなものかも、時が経てば経つほど曖昧になっていく。いつしか、あの戦争とは何だったか、戦後レジームとは何かということすら分からなくなってしまう。人間の寿命から考えて、その危機はすぐそこまで来ている。北朝鮮によってもたらされた軍事的安全保障の問題と併せて、戦後レジームと真正面から向き合うという課題を提示する政治勢力の出現を願っている。

テーマ : 政治・時事問題
ジャンル : 政治・経済

戦後70年が意味すること

「戦後70年」とは、特別の意味がある。正確には、大東亜戦争の敗戦後70年程度が経過したということが重大な事実と言える。それは、現在の日本人の平均寿命を考慮すると、戦前の日本を知る世代の大部分が亡くなり、戦後に生まれた人への世代交代が完了しつつあることを意味する。

森友学園にまつわる様々な報道の中で、教育勅語の話題があったが、これは敗戦の3年後に廃止されている。戦後に生まれた人のほとんどが、教育勅語の内容を教わることなく大人になっている。

戦後における米国の目的は、日本が二度と米国に逆らわないようにすることだった。そのために、「逆らう力を持てない国」にするための政策が実施された。米国は日本国憲法を書き、焚書をし、教育と報道が反国家的な理念のもとに行われるようにした。これは米国の立場に立って考えると至極自然なことで、あれだけの凄惨な結果をもたらした戦争を戦った相手国だからこそ、日本を自国に逆らうことのない国に作り変えようと考えたと察せられる。

したがって、日本は戦後から現在に至るまで、一貫して米国に逆らう力を持たないように国づくりをしてきたということになる。そして、その国づくりの方針が概ね維持されたまま、70年以上が経過した。戦前を知る世代が絶滅するのは時間の問題だ。その後、日本はどのような道を歩むことになるのか。

もちろん、社会は各時代の精神が常に下の世代に伝わりながら徐々に変化していくものであるから、戦前世代がいなくなった時点で戦前の精神が完全に失われるなどということは起こらない。しかし、精神、思想、理念といった類のものは、時間が経てば経つほど風化していくものである。常に語られ続けなければ、忘れられていくことを免れない。戦前世代の喪失は、戦前の時代を直に体験した語り部の消滅に等しい。まして、戦後日本においては、戦前精神と真逆のことが教育の場において、報道において、語られ続けてきたのである。

今後、ほうっておけば戦前日本の喪失は加速していくばかりである。いつしか、完全に失われるであろう。私はこの状況を見過ごすわけにはいかない。最大の問題は「米国に逆らう力を持たない」ことを目的とする様々な社会制度によって、自分の国を自分で守る力すら持たない国をつくってきたことにある。今、隣国の侵略的野心のあることは最早疑いようが無い。国づくりの目的に日本人の生活の安全保障が含まれるならば、それは日本人が自分自身の手で保障するよりない。戦後70年の意味するところに危機感を持ち、日本を独立自尊の国とする決意が求められている。

テーマ : 軍事・安全保障・国防・戦争
ジャンル : 政治・経済

盲信されているもの

日本国憲法のおかげで戦後の平和が守られてきたとの言説は、戦後多くの人に盲信されてきたものだが、その誤りに気づく人々、つまり日本国憲法では国を守ることはできないと気づく人々が増えてきた…そう思っていた。しかし、時代はすでに一歩先に進んでいるのではないかと最近感じている。

それは、「日本国憲法の誤りに気づいている人」もまた、別のものを盲信していることが、徐々に知られてきているということである。

彼らはしきりに、憲法の改正を叫ぶ。そして、現在の国会に憲法改正の発議を期待している。国会議員の構成比は、憲法改正の発議を可能にするものになっている。しかし、憲法を改正すれば本当に国は守られるのだろうか。改憲が国を守るための必要条件であるとしても、余りにもそれに固執し過ぎている気がしてならない。

安倍首相による唐突なメッセージを発端として、自衛隊の存在を憲法に明記することの是非がネット上でも議論されるようになっている。記載が無いために、自衛隊が違憲とされることが問題視されている。いかにも戦後日本を貶めてきた自虐史観を排し、またそのような歴史観に基づいて作られた社会から脱却し、新しい、国を守ることのできる仕組みを整えようとしているように見える。しかし、本当にそうか。

偶然であるが、私は最近戦争当時を知る人の記述や、それらの一部を紹介している動画を複数目にした。戦争当時を「それなりの年齢で」生きた人々の体験、気持ちの断片を知るにつれ、戦争当時の政治のいかに退廃していたことかとの思いに至り、同時に現在の保守系の人々の国防や、憲法に対する認識は、必ずしも正しいものではない気がしてきた。

かく言う私も、明治維新から敗戦までの尊皇の思想に基づいた政治体制を肯定し、現代人として憧れすら抱き、当時の体制と対比することで戦後体制(=戦後レジーム)の問題点を考えてきた。その認識の全てが間違っているとは今でも思っていないが、戦前の体制の問題点に目を向けることも必要である。

戦前体制下では天皇を神格化し、その認識を国民に教えることにより皇室の権威を背景として国づくりが行われた。明治維新後の初期の頃は良かったのであろうが、こと戦時中には、軍部が国民に自分たちの言うことを聞かせるための印籠として「天皇の権威」を振りかざしていたということが、書籍や映像によって伝えられている。尊皇の思想に基づく戦前の政治も、少なくとも現在の保守系論人の間では「盲信」されているものかもしれない。

尊皇の思想は日本の国づくりのために必要であるが、それだけでは日本を守ることはできないということであろう。周知のことだが、明治初期ですら実際の政治は天皇陛下ではなく、国民によって行われてきた。倒幕後の初期に上手くいっていた政治が、大東亜の開戦時には恐怖の政治になっていたということは、その100年余りの間に、実際の政治を担っていた国民が何かよろしくない方向に変化したと考えるのが自然であろうと思う。

尊皇の思想が日本の政治に必要なのは、政治的な権力の保持者が相応の自覚を持つためである。つまり、権力者の私利私欲や怠惰やその他諸々の邪な心を、皇室の権威によって抑制することであり、これにより日本の政治は上手くいくと思われる。しかし、それには時の権力者がそのように考えなければならない。皇室の権威をどのように解釈するかは個人に委ねられているから、権力者が悪人であったり不届き者であったりすると、皇室の権威を振りかざして国民を戦地に、無謀な作戦に則って送り込むこともあり得る。日本において政治的権力者は、このあたりをわきまえた人でなければならない。

安倍政権はどうであろうか。憲法を改正して軍事力を持ち、その権限を現政権が持ったとして、皇室の権威を背景とした良い政治をしてもらえるだろうか……

戦後の盲信は、二つある。日本国憲法の盲信と、それに対抗する形で生じた戦前の盲信である。真に追い求めるべき政治は、この二つの盲信の間にある。

テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも
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永遠の0を読んで

百田尚樹氏の永遠の0を読了しました。つくづく、自分は恵まれた時代に生まれたものだと思いました。

印象的だったのは、戦争に関わった人たちの日常生活の描写です。いつ命が無くなるか分からない状態の中で、自らの死をどのように意味あるものにするかを考え懊悩した戦士たちの話も、それは筆舌に尽くしがたい壮絶なものでありましたが、彼らを内地で待つ家族や恋人の心情に思いを馳せると、胸が潰れそうな感覚を覚えました。

戦争に赴く直前に結婚したり、婚約をした人たちの話が複数語られており、戦争に行った人の家族について読者に知ってもらいたいという筆者の意図を感じました。

また、特攻で亡くなった人たちの心情については、世間一般に共有されている誤解をとこうとする試みが伝わってきました。これは特に靖国参拝にこだわりを持つような愛国心の強い人にありがちなことですが、特攻に従事した先人たちは喜んで死を選んだと思われていることが少なくありません。私も永遠の0を読む前までは、そのように考えていました。天皇陛下のもと、この国を守るためなら自分の命など惜しくはないと。

考えてみれば当然のことですが、いくら国を守るという大義名分があるとしても、そうやすやすと命を捨てる決意はできないものです。実際には、死ぬのが怖い、死にたくない、家族のために意地でも生き残りたい…など、人間の当たり前の欲求、感情が先人たちにもあったのです。

しかしながら、当時は国が、軍部がそれを許さなかった。まさに悲劇的な状況です。特攻に行った先人たちは、この状況の中で、自分の命に意味づけをするための葛藤に苛まれたというわけです。そして仕方なく、お国のため、家族を米軍から守るため、勇ましく散るのだと自分に言い聞かせて敵空母へ突撃していったのです。おぞましい話です。

正直なところ、ネットを見て抱いていた過激な右翼のような百田氏のイメージからはかけ離れた作品でした。私は読後、この話を現在の教訓とするならば、まさに戦後日本の左翼陣営が主張してきたとおり、武器を捨て交戦権を捨て、戦争を二度と起こさないようにするために、丸腰状態になるのが正しいかのように錯覚しそうになりました。永遠の0に描かれる戦争当時の様子は、それぐらい悲惨なものでした。

百田氏は、登場人物にこれほど凄惨な戦争体験を語らせる一方で、カエルの楽園においては自主防衛の必要を訴えています。これらの作品から見出すべき今後の日本の指針とはいかなるものか。それは、自主防衛の方法について権限を持つ者の意識改革ではないかと思います。戦前においてそれは軍部と呼ばれました。現在では、内閣だろうと思います。

永遠の0に描かれる、日本の悔やむべきこととは、前線で戦う兵士と内地の軍部の意識に大きな乖離があったことです。軍部が余りにも人の命を軽視し過ぎていたことです。前線の兵士と同じ意識を持って軍部が安全保障に取り組んだならば、大東亜戦争での日本の敗北はあり得なかったとすら思われます。

現在の日本は、集団的自衛権の話で大騒ぎし、特定秘密の保護に反対し、共謀罪の取り締まりを非難する人がまだまだ多くいますが、一方でその誤りに気づく人も多くなってきています。今後も自主防衛の仕組みを作るべしと考える人は増え続け、その声に押されて自分で自分の国を守ることができるようになることも将来的には期待できます。

しかしながら、敗戦の反省は絶対に必要です。政治家と末端の兵士の意識が異なっていたことが敗北の原因だとすれば、その失敗を繰り返さないことが、現在の私たちが特攻隊員たちへ報いることであると考えます。彼らが遺してくれた国を、何としても守り抜き、さらに後の世代に引き継いでいくことが現在の私たちの務めであること、そしてそのために必要なことが示唆されている、永遠の0とはそんな作品だと思います。おすすめです。

テーマ : 軍事・安全保障・国防・戦争
ジャンル : 政治・経済

プロフィール

鈴木かずとも(シェリー)@春日井市

Author:鈴木かずとも(シェリー)@春日井市
鈴木一智
神領小学校卒業
春日丘中学・高等学校卒業
愛知県立大学外国語学部英米学科卒業
予備校勤務
岩成台自治会執行部
ツイッターアカウント@shouto_flove
フェイスブックもやってます。

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