盲信されているもの

日本国憲法のおかげで戦後の平和が守られてきたとの言説は、戦後多くの人に盲信されてきたものだが、その誤りに気づく人々、つまり日本国憲法では国を守ることはできないと気づく人々が増えてきた…そう思っていた。しかし、時代はすでに一歩先に進んでいるのではないかと最近感じている。

それは、「日本国憲法の誤りに気づいている人」もまた、別のものを盲信していることが、徐々に知られてきているということである。

彼らはしきりに、憲法の改正を叫ぶ。そして、現在の国会に憲法改正の発議を期待している。国会議員の構成比は、憲法改正の発議を可能にするものになっている。しかし、憲法を改正すれば本当に国は守られるのだろうか。改憲が国を守るための必要条件であるとしても、余りにもそれに固執し過ぎている気がしてならない。

安倍首相による唐突なメッセージを発端として、自衛隊の存在を憲法に明記することの是非がネット上でも議論されるようになっている。記載が無いために、自衛隊が違憲とされることが問題視されている。いかにも戦後日本を貶めてきた自虐史観を排し、またそのような歴史観に基づいて作られた社会から脱却し、新しい、国を守ることのできる仕組みを整えようとしているように見える。しかし、本当にそうか。

偶然であるが、私は最近戦争当時を知る人の記述や、それらの一部を紹介している動画を複数目にした。戦争当時を「それなりの年齢で」生きた人々の体験、気持ちの断片を知るにつれ、戦争当時の政治のいかに退廃していたことかとの思いに至り、同時に現在の保守系の人々の国防や、憲法に対する認識は、必ずしも正しいものではない気がしてきた。

かく言う私も、明治維新から敗戦までの尊皇の思想に基づいた政治体制を肯定し、現代人として憧れすら抱き、当時の体制と対比することで戦後体制(=戦後レジーム)の問題点を考えてきた。その認識の全てが間違っているとは今でも思っていないが、戦前の体制の問題点に目を向けることも必要である。

戦前体制下では天皇を神格化し、その認識を国民に教えることにより皇室の権威を背景として国づくりが行われた。明治維新後の初期の頃は良かったのであろうが、こと戦時中には、軍部が国民に自分たちの言うことを聞かせるための印籠として「天皇の権威」を振りかざしていたということが、書籍や映像によって伝えられている。尊皇の思想に基づく戦前の政治も、少なくとも現在の保守系論人の間では「盲信」されているものかもしれない。

尊皇の思想は日本の国づくりのために必要であるが、それだけでは日本を守ることはできないということであろう。周知のことだが、明治初期ですら実際の政治は天皇陛下ではなく、国民によって行われてきた。倒幕後の初期に上手くいっていた政治が、大東亜の開戦時には恐怖の政治になっていたということは、その100年余りの間に、実際の政治を担っていた国民が何かよろしくない方向に変化したと考えるのが自然であろうと思う。

尊皇の思想が日本の政治に必要なのは、政治的な権力の保持者が相応の自覚を持つためである。つまり、権力者の私利私欲や怠惰やその他諸々の邪な心を、皇室の権威によって抑制することであり、これにより日本の政治は上手くいくと思われる。しかし、それには時の権力者がそのように考えなければならない。皇室の権威をどのように解釈するかは個人に委ねられているから、権力者が悪人であったり不届き者であったりすると、皇室の権威を振りかざして国民を戦地に、無謀な作戦に則って送り込むこともあり得る。日本において政治的権力者は、このあたりをわきまえた人でなければならない。

安倍政権はどうであろうか。憲法を改正して軍事力を持ち、その権限を現政権が持ったとして、皇室の権威を背景とした良い政治をしてもらえるだろうか……

戦後の盲信は、二つある。日本国憲法の盲信と、それに対抗する形で生じた戦前の盲信である。真に追い求めるべき政治は、この二つの盲信の間にある。
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永遠の0を読んで

百田尚樹氏の永遠の0を読了しました。つくづく、自分は恵まれた時代に生まれたものだと思いました。

印象的だったのは、戦争に関わった人たちの日常生活の描写です。いつ命が無くなるか分からない状態の中で、自らの死をどのように意味あるものにするかを考え懊悩した戦士たちの話も、それは筆舌に尽くしがたい壮絶なものでありましたが、彼らを内地で待つ家族や恋人の心情に思いを馳せると、胸が潰れそうな感覚を覚えました。

戦争に赴く直前に結婚したり、婚約をした人たちの話が複数語られており、戦争に行った人の家族について読者に知ってもらいたいという筆者の意図を感じました。

また、特攻で亡くなった人たちの心情については、世間一般に共有されている誤解をとこうとする試みが伝わってきました。これは特に靖国参拝にこだわりを持つような愛国心の強い人にありがちなことですが、特攻に従事した先人たちは喜んで死を選んだと思われていることが少なくありません。私も永遠の0を読む前までは、そのように考えていました。天皇陛下のもと、この国を守るためなら自分の命など惜しくはないと。

考えてみれば当然のことですが、いくら国を守るという大義名分があるとしても、そうやすやすと命を捨てる決意はできないものです。実際には、死ぬのが怖い、死にたくない、家族のために意地でも生き残りたい…など、人間の当たり前の欲求、感情が先人たちにもあったのです。

しかしながら、当時は国が、軍部がそれを許さなかった。まさに悲劇的な状況です。特攻に行った先人たちは、この状況の中で、自分の命に意味づけをするための葛藤に苛まれたというわけです。そして仕方なく、お国のため、家族を米軍から守るため、勇ましく散るのだと自分に言い聞かせて敵空母へ突撃していったのです。おぞましい話です。

正直なところ、ネットを見て抱いていた過激な右翼のような百田氏のイメージからはかけ離れた作品でした。私は読後、この話を現在の教訓とするならば、まさに戦後日本の左翼陣営が主張してきたとおり、武器を捨て交戦権を捨て、戦争を二度と起こさないようにするために、丸腰状態になるのが正しいかのように錯覚しそうになりました。永遠の0に描かれる戦争当時の様子は、それぐらい悲惨なものでした。

百田氏は、登場人物にこれほど凄惨な戦争体験を語らせる一方で、カエルの楽園においては自主防衛の必要を訴えています。これらの作品から見出すべき今後の日本の指針とはいかなるものか。それは、自主防衛の方法について権限を持つ者の意識改革ではないかと思います。戦前においてそれは軍部と呼ばれました。現在では、内閣だろうと思います。

永遠の0に描かれる、日本の悔やむべきこととは、前線で戦う兵士と内地の軍部の意識に大きな乖離があったことです。軍部が余りにも人の命を軽視し過ぎていたことです。前線の兵士と同じ意識を持って軍部が安全保障に取り組んだならば、大東亜戦争での日本の敗北はあり得なかったとすら思われます。

現在の日本は、集団的自衛権の話で大騒ぎし、特定秘密の保護に反対し、共謀罪の取り締まりを非難する人がまだまだ多くいますが、一方でその誤りに気づく人も多くなってきています。今後も自主防衛の仕組みを作るべしと考える人は増え続け、その声に押されて自分で自分の国を守ることができるようになることも将来的には期待できます。

しかしながら、敗戦の反省は絶対に必要です。政治家と末端の兵士の意識が異なっていたことが敗北の原因だとすれば、その失敗を繰り返さないことが、現在の私たちが特攻隊員たちへ報いることであると考えます。彼らが遺してくれた国を、何としても守り抜き、さらに後の世代に引き継いでいくことが現在の私たちの務めであること、そしてそのために必要なことが示唆されている、永遠の0とはそんな作品だと思います。おすすめです。

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天皇制について

誤解されることが非常に多いのですが、私はいわゆる天皇制という仕組みにはどちらかというと反対です。

天皇制に反対する人の多くは、皇室そのものの廃止を訴えています。私には、この人たちの主張は理解できません。日本に日本人として生まれた者が皇室の廃止を訴えるとは、いったいどういうことでしょうか?それは彼らが、日本人の両親を持っているだけの、日本人でない単なる「ヒト」であるということです。だから、皇室が皇室としての特殊な要素を持っていることが彼らには理解できないのです。哀れに思います。

さて天皇制の話ですが、無論私は彼らと同じ理由で天皇制に反対しているのではありません。

私の反対する理由は、天皇・皇室について法律に書く必要がないと思うからです。例えば、皇室を敬うなどということは、当たり前です。常識です。わざわざ法律として明文化する意義がありません。もし明文化に意義があるとするならば、それは、ちゃんと文言として持っていないと、自国の皇室についての認識すらまともにできない、私たち日本民族はそういう愚かな集団であるということになってしまいます。

天皇制を法律に書き込むことなどしなくとも、日本人みんなが、それぞれの心で天皇・皇室を大切に思っている、それが当たり前のことになっている、こういう社会が本来望ましいのであります。

そのような社会を作るためには、公教育で天皇・皇室の尊さを教える必要があります。尊さとは、私たち日本人が日本人として誇りを持って生きていけることです。皇室が日本人の心の故郷であり、天皇・皇室を民がお護りするという関係が日本の歴史を通してずっと続いてきた、このことに思いを巡らせると、ああ、日本人で良かったと、人生に自信を持つことができます。このような精神的現象は、「こころの天皇制」と呼んでもよいかもしれません。日本と日本人の基本構造です。

天皇制については、戦後、とりわけ平成の時代は、本来の日本人としてあるまじき異常な議論が展開されてきました。皇室を廃止するとは、日本の歴史を終わらせるに全く等しいという、至極当たり前のことが分かっていない日本人が一定数いるということです。これだけでもゆゆしき事態ですが、問題は皇室を維持しようとする人が、口々に天皇制の法整備を推奨していることです。上述のように、当たり前の常識を法制化することは誤りであるわけですから、この方々も思慮が不足しているのです。

日本の内外の状況を考えると、今後ますます「日本人としてのアイデンティティ」が大切な要素になっていくのは間違いないと思われます。日本人の精神の拠り所である天皇・皇室に、日本人らしい姿勢で向き合いたいと考えています。

テーマ : 天皇陛下・皇室
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皇室についての認識

朝のワイドショーで、眞子様ご結婚を報じているのを見て一瞬吐き気がした。

皇族が、カメラのフラッシュを浴びせられながら結婚相手との馴れ初め話など、インタビューに答えている。そしてその様子を「ニュース」として全国へ配信している。これ自体驚いたのだが、ツイッターを見てみると、ここでも人々が「おめでとうございます」などと投稿している。無礼だとは思わないのだろうか…。

今の皇族は、まるで芸能人のように扱われている。皇室に対する畏怖の念が、国民および社会の空気の中に全く感じられない。このことへの嫌悪と違和感が、朝の嗚咽の原因であった。

ネット上においては、「自称愛国保守系」や、「政治意識高い系」の人ほど、マスコミが報じた皇族にまつわる話に反応し、多くの場合その話に絡めて皇室を礼賛する趣旨の発言を撒き散らしている。

「臣民」という概念がまだこの国にあるなら、それを実生活において具現化している人は本当に少ないということであろう。皇室への畏怖を感ずることができれば、そう軽々しく皇室について言及したり、分析し見せびらかしたり、できないはずである。そして、皇室への畏怖とは、日本人の独特の嗜みであり、国をつくり、守る動機でもある。今の日本社会を見るとそのように思われない読者も多かろうと思うが、私は本来この国はそのようにしてつくられ、守られなければならないと思っている。

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韓国大統領選を受けて

韓国の新しい大統領は、反日的な性格の強い人のようです。

韓国は反日だから嫌いだと言う人がいますが、この論理は裏返すと「反日でなくなれば嫌いでなくなる」という意味になり、少し違和感があります。というのも、現在の韓国嫌いの人をみていると、その反韓感情が弱まることなどなさそうに思われるからです。韓国が反日でなくなろうが、罵声を浴びせ続けそうです。

私も韓国は嫌いです。反日であることには特に何も思いませんが、その表し方が汚いからです。

日本のことが嫌いであれば、無理に好きになってもらう必要はないと思います。反日それ自体は大きな問題ではありません。しかし、従軍慰安婦に代表される数々の嘘話の吹聴と、その嘘話を根拠に謝罪と賠償を公然と求めてくる姿勢は、まさに盗人猛々しいとしか言いようがなく、開いた口が塞がらないというところです。

新しい大統領は慰安婦合意の見直しをすべきとの発言もしているようですから、今後日本に対して今まで以上に理不尽な要求をしてくる可能性があります。自民党が本当に愛国の保守政党であるならば、然るべき対応を期待します。

テーマ : 韓国について
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プロフィール

鈴木かずとも(シェリー)@春日井市

Author:鈴木かずとも(シェリー)@春日井市
鈴木一智
神領小学校卒業
春日丘中学・高等学校卒業
愛知県立大学外国語学部英米学科卒業
予備校勤務
岩成台自治会執行部
ツイッターアカウント@shouto_flove
フェイスブックもやってます。

よろしくお願いします!!

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